はじめに

かつて、長崎港は日本初のキリシタン大名大村純忠(大村藩主)により、諸外国への窓口として開港されました。
長崎街道と関わりを持った大村で、黄昏の素敵な大村湾を望みながら麺づくりに励んで半世紀です。

昭和40年代後半より、全国のデパート等で長崎物産展により『長崎ちゃんぽん』『長崎皿うどん』の宣伝に力を注いでまいりました。

長崎街道の起こり

長崎街道の起こりは江戸時代。
鎖国政策の中、当時の日本で唯一外国との交易を行う港である長崎は、長崎街道によりその文化や情報をいち早く江戸に伝え、また日本の文化・情報を海外へと発信していました。
長崎は西洋への唯一の窓口であるとともに、中国を中心にアジアとの交流窓口でもあったため、江戸と幕府の対外交渉の窓口・長崎とを結ぶ街道としても利用されてきました。

長崎街道・・・正式には長崎路、別名を肥前街道豊前街道
小倉から長崎を結んだ長崎街道その距離57里(約228km)、当時の人はこの距離を約1週間かけて歩いたといいます。

オランダ商館の医師シーボルト・司馬江漢(絵師・蘭学者)・頼山陽(儒者・詩人)・伊能忠敬など多くの人がこの街道を歩き、また、「象が江戸まで歩いていった」という珍しい記録もあります。

街道とともに発展してきた大村

大村市内を通る街道は全長約15kmにわたり、そして宿場は本陣のある大村宿 、鍛冶の町の松原宿がありました。
街道周辺には武家屋敷跡や神社仏閣など多くの文化財が残っています。

諫早市との境の鈴田峠は当時の様子をよく残しており、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。

大村のおすすめ観光コース

城下町散策コース
古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住んだ大村氏は、戦国時代〜明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた非常に稀有な大名。
肥前大村藩二万七千石の城下町の風情を今もなお残す現在の大村市、町のあちこちに武家屋敷跡や石垣が残っています。
玖島城は、初代大村藩主大村喜前が朝鮮出兵のときに立て篭もった順天城での体験を活かし、三方を海に面した玖島の地に築かれました。
現在でも海側にはお船蔵が残っており、海城としての特徴をよく残しています。
明治2年に廃城となり現在は本丸が大村神社、城全体が大村公園となっています。
大村公園(玖島城跡) ⇒ 五教館御成門 ⇒ 牢屋の坂 ⇒ 中尾元締役旧宅 ⇒ 小姓小路 ⇒ 浅田家家老屋敷跡 ⇒ 旧楠本正隆屋敷 ⇒ 旧円融寺庭園 ⇒ 草場小路・五色塀 ⇒ 針尾家家老屋敷跡 ⇒ 大村市一番地 ⇒ 大村公園(玖島城跡)
キリシタン巡礼コース
1563(永禄6)年、第18代領主大村純忠公(日本最初のキリシタン大名)が受洗し、領民の殆どがキリシタンとなりました。
信徒6万を超えるキリシタン王国となり迫害は最も厳しく、多くの殉教者を出し、処刑の殆どが放虎原の斬罪所で執行されました。
これら殉教者の内、大村最初の殉教者が出た1617年から1632年迄に、大村・長崎等で殉教したキリシタンのうち205名に、1866年ローマ法王より聖者に列せられる前の「福者」の称号が贈られました。
その百年祭を記念して「斬罪小屋」の跡に昭和43年「日本205福者顕彰記念碑」が信徒らの浄財によって建てられました。毎年此処で日本各地から巡礼団千数百名を集めて「大村殉教祭」が盛大に行われている。
空港(又はJR大村駅) ⇒ 史料館 ⇒ 鈴田牢跡 ⇒ 放虎原殉教地 ⇒ 妻子別れの石~大村伊奈姫の墓 ⇒ 獄門所跡 ⇒ 本経寺・大村藩主大村家墓所 ⇒ 大村純忠終焉の館 帯取「十二社権現」殉教地 ⇒ 空港(又はJR大村駅)